【校長ブログ】ミュージカルの楽しみ方
昨日から2学期期末考査が始まりました。これが終われば、例年なら年末の合唱コンクールに向けて特別時間割が始まります。昨年はコロナ禍のため、合唱コンクールは中止としました。しかし、2年続けてこのままでは寂しい年の瀬を迎えることになると考え、延期していた文化祭(9月開催予定)を終業式の直前に行うことにしました。極めて限られた準備期間しかなく数々の制約もありますが、生徒実行委員会が知恵と工夫を重ねて実施計画を練り上げました。残念ながら一般公開はできませんが、本校のご家庭の方2名に限定して参加可能とする予定です。生徒たちも初めての試みに期待をしています。ライブ中継も企画していますので皆様も楽しみにお待ちください。
さて、私の実家は駅前商店街に近く、近所には多くの映画館や劇場がありました。そういう縁もあって高校時代には社会人の演劇サークルの会員となり、学校から帰った後や日曜日には東京や大阪などからやって来る劇団に心を躍らせていたものです。そんな習慣もあって、コロナ禍の前には週末ごとに映画に、2ヶ月に1回は観劇を楽しむようにしていました。1年半は我慢しましたが、このところの感染状況から、やっと観劇にも出かけることができるようになりました。
そこで、先週の日曜日、3ヵ月ぶりにミュージカル観劇に出かけてきました。今回の演目は、東京芸術劇場で開催の『蜘蛛女のキス』。テレンス=マクナリーの脚本を日澤 雄介(劇団チョコレートケーキ)が演出。主演は安蘭 けいと石丸 幹二、若手の相葉 裕樹・村井 良太がダブルキャストで、ホリプロのベテラン鶴見 辰吾等が脇を固めた作品です。原作はアルゼンチンの作家マヌエル=プイグ作の小説(1976)で、1990年代にはブロードウェイにかかっている評判の作品です。
物語は、ラテンアメリカの牢獄の一室でファシストの刑務所長(鶴見 辰吾)と看守による暴力とそれに耐える政治犯の囚人たちとの関係が繰り広げられます。さらに、牢獄という現実の中で闘う革命家(相葉 裕樹・村井 良太)と、映画の世界に魂を遊ばせ思いをはせるトランスジェンダー(石丸 幹二)、この二人が新たな愛を紡ぎながら物語は展開します。それぞれの節目節目に蜘蛛女(安蘭 けい)が登場し、死を暗示します。
ところで、日本人と欧米人では観劇やスポーツの楽しみ方が違うと唱える文化人類学者がいます。日本人は、観劇では俳優の視点から楽しみ、スポーツは監督の立場から解説することを楽しむ傾向にある、と主張しています。観劇や映画の見方で言えば、多くのファンはお目当ての俳優の演技、一挙手一投足を楽しみたい人が多いのではないでしょうか?スポーツの場合は、逆に選手そのものになりきるより、「もし私が監督だったら、こう采配したい」というように見ているというのです。因みに、欧米で制作された映画の場合、エンドロールの最初に監督名が大写しになり、次に主演俳優の順番で映し出されます。日本の映画では、だれが監督だったかというより、先に俳優が重視されるように感じます。
ミュージカルや舞台演劇では、シェクスピアの時代はもちろんのこと、「何を主張したい」のかが一番大切です。
もっと言えば、「今、なぜ、このストーリーを扱うのか?」が大事です。その上で、その主張を補強するために劇全体がどのように作り込まれているのか?考えてみると、もっと楽しむことができるでしょう。なぜ今、『蜘蛛女のキス』なのか、ジェンダーフリーの問題として考えるのも良し、ミャンマー・ウクライナ情勢と重ねて見るのも良し、楽しみ方はいろいろです。他にも、登場人物の立ち位置、証明や背景、大小の道具の選択から置き方、衣装やメイクなど細部にこだわって計算されて決められています。『蜘蛛女のキス』では大道具は少なく、後幕にスライドで映像を映していました。このように監督・脚本家の視点から劇や映画を楽しむことができれば、もっと作品の深みを知ることができるでしょう。商業主義的な娯楽ミュージカルや演劇も良いですが、ぜひ仕込み方も楽しむ余裕が欲しいものです。
こうした楽しみ方が、明日からの文化祭を素晴らしものにすることに、きっと役立つと思います。高みをめざそう!