【校長ブログ】正月のお菓子:花びら餅
首都圏では、COVID-19感染症拡大に伴う緊急事態宣言下での2度目の制約された生活が始まりました。緊張感の中、週末の大学入試共通テストは予定通り実施される見込みです。本校でも、高校3年生が安全に受験し実力を発揮できるよう7日の始業式と激励会を行いました。ただし、感染予防、大学生・他学年との密を回避するため、聖蹟桜ヶ丘駅前にある多摩市の関戸公民館VITAをお借りして、学年の先生方による十分な消毒を行った上で開催しました。そこには、いつもの明るい笑顔と違った緊張しつつも意欲に燃える130名の顔がありました。今年、31期生の皆さんは中央大学ほか3ヶ所に分かれての受験となりますが、自らの可能性を信じて受験に立ち向かってほしいと願っています。『知は力なり!合格は君の手中にある』のです。本校を受験する小中学生、31期生の皆さんの合格を心より応援しています。
また、11日には「成人の日」を迎えましたが、感染症の拡大状況と非常事態宣言を受けて、恒例の29期生「成人を祝う会」は残念ながら延期となりました。感染状況が落ち着きましたら、29期生と教員でお祝いができることを願っています。
首都圏では20~30歳代の感染率が上昇しています。これから続く約1ヶ月半の受験シーズン、安全に無事に受験できるよう、周囲の皆さんのご協力をお願いします。
さて、今年も元旦、七草、鏡開きと続き、15日には小正月を迎えます。上方では、新年を祝う菓子として「花びら餅」をいただきます。もともとは、平安時代の宮中の行事「歯固めの儀」に由来するもので、のし餅の上に小豆で色づけした赤い菱形の餅を置いて、その上に猪肉や鹿肉、大根、鮎の塩漬けなどをのせ「宮中雑煮」として食べていたと伝えられています。サケ目アユ科の鮎は一年寿命の魚で「年魚」とも呼ばれ、正月には塩押しにした鮎を食べたそうです。10世紀に紀貫之が著した『土佐日記』には、押し鮎が元旦のお供え料理として紹介されています。それが、次第に形式化簡略化され、甘く煮た牛蒡(ごぼう)を二本並べて鮎に、餅を鏡餅に見立ててお菓子として、宮中で配られるようになったとされています。これを「菱葩(ひしはなびら)」と言います。明治時代になって、これを茶道裏千家初釜で使うことが許可され、広まったと言われています。花びら餅を世間に広めたのは、宮中への出入りを許され「御粽司」の称号を持つ京都・下鴨の粽・餅菓子で有名な老舗「御ちまき司 川端道喜」です。現在、15代目の方が引き継いでいます。
実家では、元旦には練習用の炉がある茶室で家族そろってお茶と花びら餅をいただくことが習わしでしたが、菓子の意味が分かったのは中学生の時でした。その後、NHKのドラマにもなった有吉佐和子さんの小説『和宮様御留』が世に出て、そこに花びら餅の話が登場することを姉から教わりました。
藤が納戸へ入ってきて、
「道喜が献上したおあつあつえ。おあがり」
と言って、杉板の上に餅をのせて、またあたふたと出て行った。それは白い搗きたての餅を薄く丸く引き伸ばしたもので菱形の紅色の餅と同じ数だけ重ねてのせてあった。白味噌の餡と甘く煮た牛蒡が横に置いてある。藤の妹は白い餅の上に菱形の餅を一枚ので、牛蒡と味噌餡ものせて二つに折り、フキに渡した。
『和宮様御留』 143ページより
今では、多くの和菓子屋で伝統を引き継ぎながら、餅の代わりに求肥(ぎゅうひ)を使ったものなど、さまざまな花びら餅が販売されています。川端道喜の花びら餅はなかなか入手が困難なので、今年は「婦人画報」のお取り寄せで紹介されていた徳島市の菓游 茜庵から「花びら餅」を取り寄せていただきました。上品な薄い紅色をした餅が透けて見え、左右からのぞく蜜炊きした牛蒡(ごぼう)に、ほんのりと柚の香のある味噌餡の入ったお菓子です(写真参照)。
参考図書
- 紀 貫之、鈴木知太郎校注(934,1979)『土佐日記』岩波文庫, 169ページ.
- 有吉 佐和子(1981,新装版2014)『和宮様御留』講談社文庫, 143ページ.
- 川端 道喜(1990)『和菓子の京都』岩波新書, 211ページ.
- 「婦人画報」のお取り寄せ https://fujingaho.ringbell.co.jp/shop/r/ri05/?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_term