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【校長ブログ】ジョージアのナイーブ・アート

 このところ連続して紹介しているジョージアですが、この国を代表する画家にニコ=ピロスマニნიკო ფიროსმანაშვილი(1862-1918)という人がいます。その絵はナイーブ・アート(素朴派)として知られ、巨匠ピカソをして「私の絵はこの国に必要ない。なぜならピロスマニがいるからだ」とまで言わしめた画家です。作風は、フランスの画家アンリ=ルソーに似ています。

 ピロスマニは、19世紀後半から20世紀にかけてロシア、ジョージアで活躍し、「放浪の画家」とも呼ばれています。ピロスマニが生きた時代はちょうどロシア革命(1917)の前夜、混乱した世相にあってジョージアに戻った彼は、荒野にたたずむ動物や人々のありのままの生活を描きました。現在、ピロスマニの多くの絵は、首都トビリシにある国立美術館、また前回のブログでも紹介したワインの産地のカへティ地方の都市シグナギにあるシグナギ美術館に収められています。15年前に訪れたときは、まだまだジョージアの人々の生活様式には、旧ソビエト時代の名残があり、国立美術館とはいえ、とても殺風景でまるで休館中のようでした。建物の入り口にはリュックや大きなカバンは預けるコーナーもありましたが、人はだれもおらず、展示室の電気も消されており、人が来るとおしゃべりをやめて電気を点けるほどでした。また、展示してある絵画の写真撮影も自由なのにはいささか驚きました(ヨーロッパの美術館では自由なところありますが)。今では美術館も綺麗に手直しされ、リニューアルしているそうです。

 また、トビリシの場末に行けば、ピロスマニ自身が看板描きで生活した時代を思い起こさせるように、彼の絵のコピーや、それに似せた手書きの絵がいくつかのレストランやバーの外壁に飾ってあるのを見かけました。彼は生きていた時代には世に認められることなく赤貧のまま没しますが、今では多くの国民に慕われる国民画家となっています。40年近く前に制作された映画『ピロスマニ』もリバイバル上映で鑑賞しましたが、見れば見るほど、何を語りかけているのかと気になり、絵に吸い込まれるような感覚になるのは私だけでしょうか?何とも不思議な魅力に充ちた絵画です。添付のPDFファイルでご覧ください。

 70歳を超える方、つまり皆さんからすれば祖父母世代以上の方々は、加藤登紀子さんの歌う『百万本のバラ』という曲をご存知だと思います。この曲は、今では旧ソビエト連邦から離脱したラトビアという国で1980年代初めにアーラ=ブガチョワさんが歌い大ヒットした『マーラが与えた人生(邦訳、原曲はDāvāja Māriņa)』という曲がもとになっています。この歌のロシア語版では、『マーラが与えた人生』の曲に、ロシアの詩人アンドレイ=ヴォズネンスキーが、ジョージアの画家ピロスマニのロマンスをもとにラブソングとして作詞し、モスクワ生まれのアーラ=プガチョワが歌い大流行しました。ロシア語版は原曲の歌詞とはまったく違う内容になっていますが、貧しい画家がすべてを投げ打って恋した女優のために広場をバラで埋め尽くしたという内容で、ソビエト連邦崩壊までは人々によく慕われた歌です。

〈付記〉11月11日付ブログ「ジョージアってどこ」で紹介した日本のグルジア語第一人者:児島 康宏、メデア先生ご夫妻は、現在トビリシ在住とのことです。

 参考文献

  • はらだ たけひで(2014)『〈ヴィジュアル版〉放浪の聖画家 ピロスマニ』集英社新書、256ページ。
  • ギオルギ=シェンゲラヤ監督(1969)映画『ピロスマニ』ソビエト。日本初公開は1987年。2015年には岩波ホールを始め、『放浪の画家 ピロスマニ』として全国で再上映された。
  • 大木 俊治(2009) 『百万本のバラ』の故郷へ、「毎日新聞」20091124日、13版、10面。