小さな学校の大きな挑戦

たまひじりのA知探Q 学びの玉手箱!
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聖ヶ丘ニュース
校長

【校長ブログ】知的登山のススメ

 コロナ禍の今年は、3密を避けての野外レジャーが人気で空前のソロキャン・プームとなっているそうです。一方で、しばらく前までの登山ブームはどこに行ったのでしょうか?ある研究によれば、第二次世界大戦後の登山ブームは、1950年代、90年代、2010年代と過去に3度あったと言われています。今では登山用品も軽量に頑丈になり、昔のように重たい綿布の横長のキスリング型ザックを目にすることはなくなりました。

 山と言えば、中国・九州地方で生まれ育った私からすれば、スキーと同様に登山は遠い存在で、関東に出てくるまでは屋久島の宮浦岳(九州最高峰;標高1936メートル)を除いてあまり経験したことのない世界でした。しかし、上京してから50歳くらいまでは、夏と言えば7月末の陸上競技部の合宿が終わると、翌日にはワンダーフォーゲル部を率いて山に向かう生活が続きました。北岳や白馬岳、奥穂高岳などを縦走した思い出が写真と共に残っています。ただ、他の合宿と違って教員も生徒と同じ30kg弱の荷物を背負って登らなければならず、料理も生徒に混じって当番制で行いました。山頂では、生徒を喜ばすために密かに「隠し食料」などを持って行ったり…。

 さらに、子どもが小さい頃は、毎夏、家族と一緒に登山や海外旅行にも出かけました。そんな家族との山行も2006年の夏の長野県と岐阜県の境にある北アルプスの双六岳(すごろくだけ、2860メートル)登山が最後となりました。夕日の中、鏡池に映る槍ヶ岳の姿は格別でした。

 ただ、昔も今も日本人にとって登山と言えばその行為が目的となっている人が多く、スピードや体力を競い、せいぜい高山植物を愛でる程度に過ぎません。欧米の方が、山麓や山腹から山を見上げながらのんびりとバカンスを楽しむ姿とは趣が違います。若い頃、東アフリカのキリマンジャロ(5985メートル)に登山した時、途中の7合目の山小屋で「山頂をめざすのは、日本人とドイツ人だけだ」と、イギリスの方に言われたことを思い出します。事実、山を登りながら植物観察をしたり、足元の地形・岩石を観察する人を日本ではあまり多く見かけません。こうした中、大学院時代に出会ったK先生の研究が大きく私の山への関わり方を変えました。「皆、足元を見ないんだよね…」と諭されました。当時、屋久島や桜島火山の人文的な研究をしていた私にとって、それは刺激的でした。山道を歩きながら、数万年前の過去を想像する知的な登山によって大いに楽しいものとなりました。南西諸島でフィールワークの基礎を教わったS先生と並んで、私の学究生活に多大な影響を与えてくださった方々です。こうした知的な遊び心いっぱいの旅の喜びが、今の私の私を学びへと誘う原動力となっていると言えるかもしれません。大阪大学大学院で人類学を教えている後輩のIさんも一緒に屋久島に登った一人で、大学とは新しいでの出会いの場と言えるでしょう。

 世代ごとに自身を振り返ってみれば、10歳代は陸上競技、20歳代は南西諸島への島旅、30歳代は進路指導、40歳代は登山、50歳代は国際協力…と、ほぼ10年ごとに興味・関心の重点を移しながらも、多くの人との出会いが今の私を作ったと言えるでしょう。その意味で、若い皆さんには、大学進学後にはある意味貪欲に学んでほしいと願っています。

 さあ、2学期後半も、もっともっと高見をめざして元気に行きましょう。

*山形 俊之(2013)平成登山ブームに関する一考察,「湘北紀要」第34号,pp.189-204.

*小泉 武栄(2009)『日本の山と高山植物』平凡社新書, 238ページ. →本校図書館に所蔵

小泉 武栄(2016)『「山の不思議」発見 謎とき登山のススメ』ヤマケイ新書, 224ページ. 

*池田 光穂(大阪大学)に関してはhttps://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/ikeda-jx.htm 参照.