【校長ブログ】パイロットとは…
35℃を越える猛暑の続く毎日、少しは涼しく海の話の他、私が色鉛筆で描いた金魚の絵、料理教室ではスイカの冷製パスタをお届けします。
パイロットpilotという言葉を聞けば、皆さんはきっと航空機操縦士を思い浮かべることでしょう。しかし、海峡の町で育った私からすれば、それは水先案内人のことを意味しています。正式には「水先人」といい、国土交通省認可の国家免許の一つで全国におよそ650人しかいない特別な職業なのです。海底地形や潮流、船舶の混雑具合などから航行の難しい全国の35か所の海域・水域(水先区)では、中型・大型の船舶に乗り込んで船長や航海士に指示を出す仕事で、指示は通常、英語で行われます。特に操舵の困難な11か所は、「強制水先区」に指定されています。
水先人の資格を得るには、かつては3年以上の船長経験が必要でしたが、2007年の改訂により三級海技士(航海)を取得できる大学または高専を出た後、東京海洋大学()、神戸大学海事科学部、海技大学校(兵庫県芦屋市)にある水先人養成課程を卒業することで受験資格が与えられるように改められました。試験では、筆記試験のほか、口頭試験と実技試験があり、合格後は上記のいずれかの区域に所属することになります。船の大きさ(トン数)と経験年数により、三級から一級までの区分があります。新制度発足により2011年には、初の女性水先人が誕生(東京湾水先区)し、その後も女性水先人の誕生が続いています。
初の女性水先人となった西川 明那(残念ながら卒業生ではありませんが…)さんは、航海士を目指して東京海洋大学航海士海洋工学部海事システム工学科に入学しましたが、大学3年生の時に同大学院に水先人養成コースが創設されるのを知って養成コースに入学した方です。2年半の課程を経て、国家試験に合格、三級水先人になったそうです。その後、経験を積んで二級水先人となり,現在は初の一級水先人を目指しているそうです。私の地元では、その人数の少なさからでしょうか、水先人は医者以上に憧れの職業でした。
ただ海から25kmも離れた内陸の丘陵地にある本校ですから海の話はピントこないかも知れません。一番近い水先区は、横須賀市の久里浜と、千葉県富津市金谷を結ぶ線より内湾が東京湾水先区になります。ここを通行する船舶は、1日約500隻で、世界有数の過密航路と言われています。シンガポールの面するマラッカ海峡が約320隻、スエズ運河やパナマ運河は東京湾の10分の1程度ですから、ここが以下に過密か分かるでしょう。特に往来する船舶の数も種類も多いため、円滑な航行のために大型船は右側通行と決められています。
東京湾の入り口(湾頭または湾口といいます)は、浦賀水道と呼ばれる氷河時代にできた細長い水路となっており、横浜-富津沖には「中ノ瀬」と呼ばれる水深13~20mの浅瀬があって、とりわけ航行を難しくしています。奥行きの長い東京湾では、水先人の範囲も3つに分類され専門性を高めているそうです。それでも年間に100件を超える事故が発生しています。水先人とは、海上で梯子を使って揺れる大型船に乗り込んで港まで速やかに誘導し、小さいタッグボート1つで接岸するまで指示をする仕事をしています。船舶の港湾への出入りが経済活動に大きな損失を与えるため、素早い移動が求められています。船が大きくなればなるほど、船の反応が難しくなるので、地形や潮流、周囲の船舶の動きなどを読み取り、先を予測する判断力が問われるのです。
さて、外国船が入港すると、船舶の積み荷を届ける通関手続きが必要になります。ここで税関の監視部の出番です。税関では、海上パトロールを行い、船上に備え付けた5台のカメラを駆使して、麻薬、拳銃など輸出入が禁止されている物品を取り締まる仕事をしています。ここでも多くの女性が活躍しています。
2年前に放映されたNHKバラエティ番組『サラメシ(現在、毎週火曜日19:30-19:57)』では、先輩職員に同行する新人の姿がありました。その女性こそ、本校23期生の石黒 明菜(中央大学文学部卒)さんで、最新鋭の監視艇に乗り込み、入港リストをもとに双眼鏡を使って巡回パトロールをしている凜々しい姿が写し出されていました。モニターを使って、船上の船員に不審な動きがないか、不審な小型船舶がいないかなどを確認する仕事です。もしも不審な点があれば通報の他、職務質問もするそうです。他にも、港で下船した人たちの持ち物を調べたりする仕事担当します。揺れる船の上でモニターを見続けると船酔いしやすいそうで、その仕事は「新人が担当し、船に慣れるようにしている」と、先輩職員が語っていました。新人の石黒さんも、ご多分に漏れず最初は船酔いでお昼ご飯を食べられなかったそうですが、配属から2か月の放映時にはすっかり慣れて、「大盛にしようかとおもいました」と言いながら、チーズダッカルビ定食を美味しそうに食べる、たのもしい姿が画面にいっぱいに広がっていました。
今、インド洋西域のサンゴ礁からなる国モーリシャスでは、日本国籍のタンカーの座礁事故を起こして環境に大きな負荷を与え、住民の方々に多大なる迷惑をかけています。原因解明が行われていますが、航跡を見る限り、サンゴ礁の海という特性をしっかり理解し、注意して航行していれば防げた事故と考えられています。日本の優れた汚染除去技術を発揮して、汚染拡大に役立ててほしいものです。
最後に、小学生の頃の私にとっては、海岸は遊び場の一部で荷役仕事の方から怒られながらも、岸壁を遊び場として接岸している国内外の船を興味津々と眺めていたことを思い出します。当時、港に時折、停泊していた東京海洋大学の海鷹丸(1866トン)や水産大学校(山口県下関市)の耕洋丸(2352トン)という練習船にも乗せてもらい、食事させてもらったり、風呂まで入らせてもらったり、話を聞いたりして遊んでいたことを思い出します。今では考えられない、大らかな「いい時代」でした。