【校長ブログ】ブルキナファソに学ぶ
年末から年始にかけて2週間、西アフリカのブルキナファソという国を旅行して来ました。ブルキナファソは、世界最大面積をもつサハラ砂漠の南に位置する内陸国で、労働人口の8割が小麦や綿花、サトウキビなどを栽培する農民という国です。因みに日本の農業人口の割合は6%程度ですから、産業構造や経済力の違いが分かると思います。また、最新の世界銀行の資料(2018)によれば、ブルキナファソの国民一人当たりのGNI(国民総所得)は年間にわずか670ドル、日本の60分の1足らずしかありません。これを1日当たりに換算すると、日本円で約200円ということになります。世界銀行では1日1.9ドル(約200円)以下で生活する人々を「絶対的貧困」と定義しており、ブルキナファソはその限界値ということになります。識字率も28%、基本的な衛生整備の整ったトイレを利用できる割合はわずか22%に過ぎません。幹線道路こそ日本や中国の援助で舗装されていますが、一歩道をはずれると真っ赤な赤土(ラトソル)におおわれた大地が続きます。
この国で第二の都市、ボボデュラッソ(人口約44万人)の中心部に近い旧市街キビドウェを訪ねた時のこと(決してスラム地区ではありません)。街の名は「ボボ族とジュラ族の街」という言葉に由来しており、日干しレンガでつくられたスーダン様式の尖塔をもつモスクがあることで有名です。旧市街はモスクの向かいあり、土壁の家々が並ぶ狭い路地を入ると、そこでは昼間から老若男女が集まって赤いソルガム(雑穀)でつくった地酒ドロを飲んでいました。路地裏の酒場は、「ドロ」を飲む路地という親しみを込めてドロティエと呼ばれる社交場になっており、見知らぬアジア人の私にも気軽に「Wa ka Wa ka!(おいでよ 一緒に呑もうぜ!)」と声をかけてきます。さらに路地を進むと、深さ10メートルを流れる河川が緩やかに蛇行しながら、大地を刻んでいる場所があります。その峡谷の上には集落や共同トイレなどがあり、汚水や汚物はそのまま河川に流れ込んでいます。家には電気はありません。また、ブルキナファソでは「人間が出した排泄物には悪霊がいる」と信じられており、家の中にトイレを持つことに抵抗が大きいのです。対岸に目をやれば、河原で少女の体を洗う母親の姿、少し先には洗濯をする女性の姿もあります。周囲はまるでゴミ捨て場…、色とりどりのビニールの袋や包装紙などが、花が咲いたようにここかしこに捨てられています。断っておきますが、ここはスラムじゃないのです。私がドロティエで飲んだ地酒ドロも、ここの水を使ったのかと疑ったりしましたが、幸いなことに未だに体は健康です。
一日200円で生活する人々、お金が入れば昼間からドロに酔いしれる人々…。撮影許可を得てカメラを向ければ、笑顔で応じてくれる人々がいます。しかし、「途上国のスラムに行くと、そこにはキラキラ輝く子供たちの笑顔があった」と、感想を述べる人がいますが、私は個人的にはこの種の言葉が好きではありません。こうした場所に行く直前に入念に防虫スプレーを振りまいたり、汚い場所から目を背けたり…。「援助すべき」と上から目線で見たり、現状を直視せず美化したりせず、「現地の価値観で見ること」こそが、真実を見抜くことこそが大切なのです。さて、皆さんは何を感じたでしょうか?
さて、続きは次回へ。
令和2(2020)年1月16日
校長 石飛 一吉